2016年6月11日(土)-2016年7月10日(日)
Cyg@盛岡
写真:prop roomさんより
如何ともし難い壁 増子博子
この展覧会は、2014年頃から思索を続けていた作品で構成されています。
中心には「側の器」と名付けた日々のドローイングが、「橋」と名付けた展示台に配置されています。わたしの制作は主に、このドローイングが源流になります。
「如何ともし難い壁」
この作品は、明治のミニスナック菓子「おっとっと」を食べている時に偶然現れた、くっついてしまったイカとイカをスキャンし、3Dプリントとして出力してもらったものです。工場ラインのエラーによって生まれた、スナック菓子同士がくっついて交われずにいる部分が、なんだか工場の無意識が生み出した壁に視えました。わたしたちが造り上げてしまうどうしようもないような壁や、人と人、人と事物の間の壁も、このように偶然に出来てしまう如何ともし難いエラーなのかもしれないと考え制作しました。
では、なぜイカだったのでしょう。それはある日、つらつらとSNSを見ていると、友人が「おっとっと」のイカと、レアキャラの大王イカを手のひらにのせた写真を載せていたのです。その時、手のひらのイカのかたちが、ヒトガタの様に思えました。スケッチを繰り返し、おっとっとのイカで壁を作ろうと集め始めたのがこの作品のきっかけになりました。(なぜイカで壁を作ろうと思ったのかは割愛させてください。)
そして、昭和27年にわたしの祖母が「ざら紙に描いた」と話す、ジョルジョーネの「眠れるヴィナス」の模写を、わたしが模写したもの。祖母は覚えていないと言うので、私の推測になりますが、西洋美術の図版を見ながら描き写したのだろうと思います。家族でありながら他者である祖母、増子幸(みゆき)という女性が、どのように模写したのか、彼女の人生を思いながら、彼女の線に自身を重ねながら模写していきました。それでもなお越えられない壁が現れた行為となりました。
「熱帯所感」
この作品は、とある喫茶店で女の子たちが観葉植物の葉を指で触りながら、「これ本物?偽物?」と会話していたのを見たのがきっかけで生まれました。最近のフェイクグリーンはもう本物と見分けがつかないくらいですが、その喫茶店の観葉植物には何本かの栄養剤が鉢に挿してあり、本物であることはそこで分かるだろうと思ったのですが、手触りで判断しようとする彼女たちの行為が面白く、同じようなフェイクグリーンが並ぶところをイメージしながら制作しています。
「川を渡る木」
宮古から千厩に引っ越して一年、林の木々が、繁茂する藤の蔓によって締め付けられ、折れ曲がり、引っかかり、複雑な流れを生み出しているのに驚かされ、制作した作品です。
「側(カワ)の器」日々のドローイングと「橋」
「側の器」とは2013年から続けているドローイング類の名前です。言葉にならない、説明もできないイメージ達が一体何であるのか、絵で考えていくことで絵が教えてくれるのではないかと思って始めました。一日一枚を記録として残してきましたが、その流れの一端を時系列に展示しています。展示台は、試行錯誤の中、川を渡す「橋」として現れました。 何かを表現しようとしても、日々流れて変化していく。それを受け止めている、流れるものを受ける側の懐の深さを見て頂けたらと思います。
この度は、展覧会にいらしていただき、またテキストをお読みくださり、誠にありがとうございました。