制作について

 

自然に生えてきたものと人、その接続により顕われるものと共に

 

 わたしは宮城県大崎市に生まれ、郡山、会津若松、米沢、仙台、下野(栃木)、宮古(岩手)、千厩(岩手)、葛巻町(岩手)東北各地を転々としてきました。

それぞれの風土の中に生活するうちに培われたものが制作の種となっていると感じています。

 東北には奥羽山脈という約500㎞にも及ぶ脊梁が、青森から栃木にかけてを貫いています。わたしは住処を移す度に、東北を跨ぐ巨人となり、日本海と太平洋に片手片足づつを浸しているような気持になっていました。

 

 2006年まで、大学で銅版画を制作していましたが、手で直接画面に描いていく自由度を求めてペン画へと移行しました。その最初の一作目が「bonsai」です。この絵は、盆栽を描こうと考えて描いたものではなく、描いていくうちに「bonsai」となりました。そこから、自然に生えてくるものとわたしの、協働のような制作が続いています。

 

「bonsai」

 

 盆栽は、鉢の中に樹木を植え、自然の風景をマイクロコスモ的に表現する日本の文化の一つです。器や針金などを使い、木の成長に制限を加え、それらの制約により、枝の伸びる方向や、成長のスピードは育て手の意図した通りに進み、個人の持つ美意識のかたちを目指します。また、盆栽を育て愛でる人々は、盆栽は自然からの預かりもののような感覚を持っているともいえます。自然が生りたい姿にと、手を貸していくのです。

 

 「盆栽」という象徴的なモチーフ。わたしはその制作過程に、人の手による芸術的な表現と、自然本来の美しさの調和を見出し、そこに魅せられるのです。

 

 わたしの絵は「絵の種」と呼ぶドローイングから始まります。この「絵の種」は、盆栽における幼い木に相当し、画面(器)という制約の中で発展を遂げます。そこには盆栽のかたちを模した芸術的実践と、自然の美しさの対比が顕われてくるのです。それらのイメージの対比を際立たせるために、白と黒、ペンによる線というシンプルな表現方法を用いています

 

Bonsai is a central theme to my work.   Bonsai is the art form of planting trees in a pot and creating a microcosmic scene of nature. It consists of multiple layers of various elements. The size of a pot determines how much trees can grow.  Branches and trunks which grow freely are shaped artificially with wires. To create the natural-looking, white, dead branches and trunk, a skilled craftsman uses deadwood technique to kill some parts of them with chemicals or a chisel knife. Natural plants which grow in various directions do not have a specific front side obviously. However, in Bonsai there is a front side, which means there is a painterly element to them. Bonsai is created intentionally this way.  Bonsai is the collaborative result of natural beauty and artistic work by a human, a combination I am deeply attracted to.

Born in the 80's, I have experienced our expanding network of cell phones and the internet.  I manage effectively, without a sense of the strangeness of this information society we live in. These networks grow like branches and can exist in a vessel, humans in this case, in the same manner as the trees in a Bonsai pot. Will the information society evolve as the vessel of humans evolve? I feel modern information society is detached from, and has already expanded out of human control. Is our existence in society detached, empty, and vain then?

Both dead and living cells co-exist in Bonsai while the permutation of 0 and 1 is the base of the network. To contrast the image, I use a pen to simply draw in black and white, uniform lines. I first place in the canvas what I see or what I am influenced by in daily life, such as books, plants or the internet. I call these objects the ‘seeds’ of my drawing work. Once the seeds are planted, then I grow them into trees in a vessel, which is the canvas.  While they seem to grow freely on the surface, the seeds do not recognize that they are ! given specific order, or then they do not want to know it.

 

 

猫と蛸

 

自然と人間の関係という言葉を聞くたびに浮かんでくる思い出があります。

私の祖母は、猫の事を「たこ」と呼んでいました。宮城県の岩出山というところではねこの事をたこと言うのです。理由はわかりません。最初は知らなくて、哺乳類に海の生き物の名前をつけるなんて洒落ている、などと思っていました。しかし、二代目の猫も「たこ」だったのです。

祖母は、名前をつけて飼うのではなく、ただ猫、という分類で呼んでいただけなのでした。牛も一頭飼っていましたが、名前はありませんでした。

飼うのではなく、今は一緒にいるだけ、と言う関係性にハッとしたのを覚えています。

混ざり合いの中で名を持たずに生き、そこから作らざるをえないようなものが生まれる、大きな一括りの名前で呼ばれる、それは面白いんじゃないだろうかと思っています。

 

また、私はこれまで、家族の都合で様々な土地を移動しながら暮らしてきました。そうすると、新しい土地との関係性を結ぼうと、より体のセンサーが働きはじめます。その土地のことを知ろうと歩いていると、ハッとするものに出逢ってしまうのです。

これまで、栃木県では皆川マスという陶芸の絵付け師、岩手県の葛巻町では昭和40年代に葛巻で作られてきた木彫り熊に魅了されてきました。この人はどうやってこの絵を描いたのだろう、どのようにして彫ったのか、彼らに身を重ねるように調べていくうちに、自身の制作も乗っ取られていくのです。